政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

大学と奨学金と私

先ほど、朝日新聞天声人語を読みました。内容は大学への奨学金一色。ある大学教授の調査で、税金を投入すべき分野がわかったそうだ。 1位に医療・介護がおどり出る。2位が年金、3位に教育だそうだ。

お金が問題で大学入学を取りやめる。奨学金を借りて、大学へ行く。卒業後に残るのは借金。借金をしても就職をしてから返すことができると夢みる。就職活動で失敗し非正規社員になる。結局借金が残り、豊かな生活など夢物語。絶望へ逆戻り。

こんなことが世の中で起きている中で自分が置かれている立場がおかしいと気づく。

大学卒業後(奨学金無し)、アメリカの大学院(人文科学)を目指し一年間、自分を見つめながら、塾の講師として働いてきた。無事に大学院から合格通知を受け取り、現在、お金のことを考えている。

国の給付型奨学金へ応募したが不合格になり、2年間で約600万を払わなくてはならない。自分ではどうしようもないので祖母からお金を借りるよう考える。大学生の2人に1人が奨学金を借りているという状況を考えると私は恵まれている。なぜなら、身近に借りられる(投資してくれる)人がいるからだ。この状況は私にとってありがたいことは間違いない。このような状況がある中で、あえて、今年から試験的に始まる給付型奨学金制度について言いたい。

給付型奨学金を各高校に100人規模で配れないのであれば、いっそのこと大学の授業料などについては血の繋がっていない人でも気軽に他人を援助できるようにしてしまうのはどうか。他人が贈与をする際の税金は取っ払ってしまえば送る方もためらわず送ることができるだろう。圧倒的に若者よりも年寄りの方が資産もあり、人口が多いのだから彼らの意思に任せる方が強制的に税金を使って少数の人だけを救済するだけより。彼らは医療や年金に興味があるのだからそこを拡充する代わりに若者を助けたら、見返りに減税などのいいのではないか。しかし、本当に貧困で困っている人で、大学に行きたい人にはチャンスを与えるべきだと思う。そしてそのチャンスは、国ではなく、大学が与えるべきだ。入試で合格した人の中で世帯収入が極端に低い生徒には申し込みの意思さえあれば、授業料を半額にし、その分大学内で事務などの手伝いを週に20時間ほどしてもらうなどすれば、大学側はアルバイト確保できるしお互いにメリットがあるように思う。

今の学生はおそらく、バブル期の学生よりも現実的で遊んでいないと思われるが、年配の方は大学生は遊んでいるというレッテルを貼っていることは想像できる。今問題なのは、人口的な要因で政治が動いていて、将来設計を無視している政策にあると考える。不況だからしょうがないという、どうもこうもないことを言う前に、大学側が率先して学生を育てていく姿勢が問われていると感じる。政府になんとかしろといっても、彼らは国民の多数の意見に左右されてしまうのだから、国は大学にもっと圧力をかけていくようにしていくことで、奨学金問題は前進すると思う。

最後に、なぜ奨学金について書いたかと言うと、昨日の Against Empathy を読んで自分自身、ハッとさせられたからだ。

あまりに、共感を意識しすぎていると自分自身疲れるし、時に、政策を間違えることになりかねない。「貧困はかわいそう」「彼らの立場になったら...」と考えたらきりがなく、感情に任せると長期的に失敗に繋がるかもしれない。私は、様々な問題の原因と現状を冷静に、そして数学的に見る力がこれからより必要になっていくのではないかと思う。