政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

共同研究の罠

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

社会科学や文学系の研究は単著よりも共同研究で行われていることが多いように見えます。理系はどうなんでしょうか?共同研究が多いかもしれません。

タイトルにもある通り、共同研究と学びについてです。

結論から申しますと、どのように共同研究を行うかによって全く自分が学べなかったり、その論文が採択された時にあまり喜べません。満足感(達成感)が極端に減っていくのです。

共同研究といっても何を、どのようにに行うかはそのグループによってきます。学びが大きく、そして達成感を味わうにはどうすればいいのか。考えてみました。

まず、なぜ共同研究をするのか

リサーチグループに所属しているからという理由だけで、強制的、もしくは半強制的に参加させられて、そのテーマにそもそも興味がわかない場合はおそらく、何も学べません(かなり極端です)、なぜなら、自分のやることを出来るだけ少なくしたいからです。テーマに興味があるのか自分に正直になって考えてみる必要があるかも知れません。しかし、博士課程の院生にとっては悩みどころです、その論文が学会やジャーナルに採択されれば履歴書に書けるからです。とりあえずやってみましょう!

第2に、どう研究するのか

これは役割分担に関することです。アイデアを最初から練り上げる共同研究はとてもいいと思います。メンバー同士がお互いに意見を出し合ってアウトラインを練り上げていく研究は理想型です。それとは対照的に、あらかじめアウトラインが決まっていてあとはそれを実行していくだけの共同研究の場合、その研究の意義や面白さが感じずらくなる危険性があります。後者の場合は、筆頭著者の人が書いたイントロなどを読んで疑問に思ったら質問をするなどの意思疎通が大事だと感じています。学会の締め切りなどで、焦っているととりあえず、自分が割り振られた箇所の論文を読んで、書く、ということになりかねませんので出来るだけ早い行動が自分の学びと達成感を高めるのに求められます。

私の経験

これまで修士論文(アドバイザーとの共同研究)と大学院生の共同研究と、助教授との共著ペーパーを経験してきましたが、修士論文は一番学びが多く、達成感がありました。口頭試問のあとは少し涙ぐむなんてこともありました。今思うと、自分が関心のあるテーマで、アドバイザーの指導を仰ぎながらも自分で読んで最初から最後まで書き通したことがよかったんだと感じています。

これから大学院生(文系や社会科学)になる皆さんへ、共同研究はいいですよ!楽しいです!孤独ではありません!しかし、自分で論文読んで考えることをしないでちょろっとやると何も学びません!

 

以上、将来の先輩からのアドバイスでした!

 

 

中立=何も考えていない。政治的中立は思考停止(日本とアメリカ)

中立=何も考えていない。多様な意見を取り入れ、理性的選択を心がけている私にとってつらいです。政治的イデオロギーや感情が極端化していく、いわゆる政治的分極化が日本でもアメリカでもみられます。

今日ある右翼系ユーチューブ番組をみていたらこんなやりとりがありました。

その動画では、高校生と若い男性(おそらく20代)が高校の先生がイデオロギーを教えることについて話している流れで、真ん中(中立)について言及しています。教育基本法を守ると学校の先生が中立でなければならないことに疑問を感じているようです。

男性1:「真ん中っていうのが一番ダメなんじゃないかな。やっぱり、右寄りの新聞、左寄りの新聞があってそれを取捨選択する環境が望ましい。」

男性2:「真ん中ってありえなくないですか?どんな政策であっても真ん中って思考停止ってことじゃないですか。例えば、9条改憲には賛成だけど、総理が靖国参拝することには反対のように総合的に中道とか中道左派っていうのはありえるかもしれないけど、完全に中立ってありえないし、例えば9条に関していうならば、要するになんも考えてないってことじゃないってなる。」

 

中立って思考停止なんですか?選挙においては候補者を一人に絞らなきゃいけないことはわかっていますが、その前の過程で出来るだけ自分を真ん中に置いて左右の意見を取り入れる。そして、多くのイシューからできるだけ自分と考えが会う候補に投票する。結果的に見れば中立ではないかもしれませんが、決定までの過程は真ん中から始まります。私は、これが重要だと思うんです。例えば、はじめから右からスタートすると他の意見が対立する意見として認識されそれを論破しようとして極端に右に行きかねない。そうなれば政治の会話はイデオロギーの攻防戦になります。

 

以上の考え方は、普通じゃないかもしれないことはわかっています。アメリカ人の同僚は無党派層は何もしないしできないと断言していますし、二党制が強いアメリカ政治ではどちらかに登録していることがコーカスなどの参加条件だったりもします。民主党共和党どちらか選ぶことが社会から求められているのです。

 

私にできることは皆さんを中立にさせることではありません。ただ、中立を目指している人や、優柔不断な人が悩まないようサポートするだけです。大丈夫です!中立、中道、真ん中の人!あなたが社会には必要です!

 

 

 

 

 

 

政治に興味を持つきっかけがやばかった件

大学院で政治とコミュニケーションについて勉強と研究をしている25歳、独身、彼女無し、の僕。

政治に興味を持ったきっかけが桜井誠氏。数年前に東京都知事選に立候補者としていた。「誰?」って思った方、ぜひググってみて。かなり過激だから。イメージとしては極右?ヘイト?そして何より、メディアからも国民大多数からも無視しつずけられているのが現状です。

私が極右の支援者だからもうこの記事読まないって思った方、ちょっと待って。違いますから。

なんで桜井誠氏をきっかけに政治に興味をもったのって?ちょうど、私は大学の交換留学プログラムから帰ってきたところで、外国人と共生していく社会はとても楽しいと思っていたんです。その経験をぶち壊すかのように、当時、桜井氏は「在日を叩き出せーっ」「日本第一」みたいな言ってました。実際、握手もしました。

それを聞いてこう思いました。「こんな人みたことない。興味深い。もっと知りたい。」そこから、在日に関する書籍を読んでいると桜井氏の言っていることがあながち間違いではないなって思ったんです。
結果として、私は見事極右になりました!今では、仲間もできて楽しく活動しています!みたいに「ならなかったんです。」

これは意外ににきつくて、政治に興味持つと色々意見したくなるじゃないですか。それを共有する人がいない。幸い、家族は話を聞いてくれますが心配してると思うんです。一緒に活動できる人がいれば毎日イキイキしてきそうじゃないですか。だけど、極右の活動のめり込む勇気もない。

結果的に、政治さえも議論できないし、話すこともない。今は、政治議論や、メディアについての論文読んでますけど、研究は政治活動と違うので出来るだけ批判的に考えないとなりません。

以上のように、政治に興味を持つことっていいと思うんですけど、そのきっかけが派手だと結構悩みます。そこで、声を大にして言いたい、政治のきっかけはひとり一人違うんです。「極右だろうが、極左だろうが、ネトウヨだろうが、パヨクだろうが政治に興味を持ってくれてありがとう」お互い一対一で話せば絶対もっと楽しくなる!
皆さんの政治へのきっかけはなんですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Facebookのデータ収集について(英文記事)

2018年にニューヨークタイムズと英国ガーディアン紙が報じたケンブリッジ・アナリティカのデータ不使用問題からこれまで、フェイスブック使用者の個人情報取扱いについてアメリカでは毎日新しい情報がアップデートされています。個人データの使用をめぐる問題と政治に関わるためとても重要なニュースだと考えています。今回の記事では、フェイスブックのアカウントを凍結(deactivation)したとしても完全にアカウントを削除しない限りフェイスブックはそのユーザーのウェブ検索歴などを調べられるといった内容です。ユーザーの好みに合わせた広告を貼るためにこのような情報収拾をしているようです。日本でもすでに大量のデータを利用した選挙戦略が繰り広げられています。フェイスブックのような問題はおそらく起きているかこれから起こるかもしれません。

これからアメリカで起きているテクノロジーと政治に関するニュースを共有していきます。よろしくお願いします。

 

Ng, A. (April 9, 2019). Facebook still tracks you after you deactivate account

Deactivation does nothing for your privacy. Retrieved from https://www.cnet.com/news/facebook-is-still-tracking-you-after-you-deactivate-your-account/

論文ライティング(テンプレート)

社会科学系の論文構造を分析して使いこなせるようになろうという思いで始めた論文ライティング企画。本日は第2弾です。

 

分析する論文Kim, N. (2016). Beyond rationality: The role of anger and information in deliberation. Communication Research, 43, 3-24. doi: 10.1177/0093650213510943
 

この論文の中の第一パラグラフだけを見ていきます。大前提として、パラグラフの1文目はある程度抽象化されたその段落のまとめみたいになっています。この前提はほとんどの論文で崩れないかと思っています。しかし、例外はおそらくあると思います。

"Ideas concerning deliberative democracy come with alluring charm. The process conveys images of juries, town hall meetings, and ancient Greeks in polis. It triggers eloquent descriptions by Dewey (1927/1991) and Habermas (1962/1989) of a public based on communication and association. For the past several decades, proponents of deliberative democracy in both theoretical and empirical realms have carefully substantiated its intuitive appeal. Theorists and philosophers of politics have examined various properties of the deliberative model in arguing for its superiority over alternative models of democracy (Benhabib, 1996; Cohen, 1997; Dryzek, 2000; Elster, 1998). Empirical research inspired by the deliberative perspective has lent support for many of the claims about the positive outcomes of deliberation (Barabas, 2004; Cappella, Price, & Nir, 2002; Eveland, 2004; Fishkin, 1995; Gastil & Dillard, 1999; Kim, Wyatt, & Katz, 1999; McLeod et al., 1999). The benefits of deliberative democracy are increasingly clear." (p.3) この段落は7文で構成されています。一文の長さによりますが5−7文が多い気がします。短すぎず長すぎず。

Ideas concerning deliberative democracy come with alluring charm.

トピックセンテンスはやはり抽象的ですね。"comes with alluring charm"というのはかなり抽象的で何言っているかこの一文ではわかりませんが、deliberative democracyの概念がが魅力的だということがわかります。
The process conveys images of juries, town hall meetings, and ancient Greeks in polis.

第2文ではdeliberative democracyの具体的なイメージが書かれています。
It triggers eloquent descriptions by Dewey (1927/1991) and Habermas (1962/1989) of a public based on communication and association.

そして第3文でdeliberative democracy の提唱者に触れています。ここまでの文でdeliberative democracy という概念が誰によって記述され、具体例が示されています。しかし、実際の定義がわからないのがもどかしいようにも思えますが次の文を見たいと思います。
For the past several decades, proponents of deliberative democracy in both theoretical and empirical realms have carefully substantiated its intuitive appeal.

この文ではdeliberative democracy が理論的、実証的に研究されてきたことに言及しています。


Theorists and philosophers of politics have examined various properties of the deliberative model in arguing for its superiority over alternative models of democracy (Benhabib, 1996; Cohen, 1997; Dryzek, 2000; Elster, 1998).

哲学者や論理家がdeliberative democracyの優位性を議論してきたと伝えています。


Empirical research inspired by the deliberative perspective has lent support for many of the claims about the positive outcomes of deliberation (Barabas, 2004; Cappella, Price, & Nir, 2002; Eveland, 2004; Fishkin, 1995; Gastil & Dillard, 1999; Kim, Wyatt, & Katz, 1999; McLeod et al., 1999).

この文では実証的研究がdeliberative democracyの肯定的な効果を証明したきたこに言及。


The benefits of deliberative democracy are increasingly clear.

最後の文でdeliberative democracy の効果がますます明らかにされていることを伝え、段落をしめています。

私だったら最初の3文までをdeliberative democracyの定義や提唱者について言及して4文から始めますが、この論文の著者はdeliberative democracyを魅力的と形容して例を提示し、そして提唱者を示すというテクニックですね。なぜ、1−3文

の話をしているかというと4文目から始める段落の方が通常のように思えるため、とても新しいからです。

 

ということで、新しい概念を導入するときに使えるテンプレートとしてその概念を形容し、具体例、そして提唱者を3文で伝えることができます。

 

今日読んだ論文:

Thurman, N. (2011). Making “the daily me”: Technology, economics and habit in the
mainstream assimilation of personalized news. Journalism, 12, 395–415.  doi:10.1177/1464884910388228.

Manber, U., Patel, A., & Robison, J. (2000). Experience with personalization on Yahoo!
Communications of the ACM, 43, 35–39.

Kalyanaraman, S., & Sundar, S. S. (2006). The psychological appeal of personalized content in Web portals: Does customization affect attitude and behavior. Journal of Communication, 56, 110–132.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライティングについて

英語の検定試験(IELTS/TOEFL IBT)や論文執筆で欠かせないのは書く力です。一年くらい前までしっかりとした型を意識しないで英語でライティングをしてきました。ここ最近になってある程度文章には段落ごとに役割があることや一段落で書くべきことなどを知りました。というのも、M1の時から2人の教員にライティングを早く改善したほうが良いと言われてきてやっと前学期でライティングについて調べる機会を得たからです。そこで、アカデミックライティングにはざっくりとした型があることがわかりました。今頃?と少し落胆していると同時に気づけてよかったと思っています。

論文によって一段落(paragraph)の構成に違いがあると思いますので、これから時間があるときに一段落の構成や文章全体の構成に注意を払い、オリジナルのテンプレート集を作成していきます。ある程度抽象化されたテンプレートはライティングが苦手な人にとって有益なのではないでしょうか。

今日はテンプレート第一弾ということなので、一段落に何を書けば良いのかを詳しく解説しているホームページをご紹介します。

"5-step process to paragraph development":

https://writingcenter.unc.edu/tips-and-tools/paragraphs/

上記のリンクをクリックすると1段落に何を入れれば良いのかが5つのスッテプでわかりやすく書いてあります。(注:英語で書かれています)

 

本日も論文を読みました。

Kreiss, D. (2015). The problem of citizens: E-democracy for actually existing democracy.

Social Media+ Society, 1-11. doi: 10.1177/2056305115616151

Prior, M. (2009). The immensely inflated news audience: Assessing bias in self-reported

news exposure. Public Opinion Quarterly, 73, 130-143. doi: 10.1093/poq/nfp002

Kim, N. (2016). Beyond rationality: The role of anger and information in deliberation.

Communication Research, 43, 3-24. doi: 10.1177/0093650213510943

 

論文を読むこと・書くこと

論文を毎日欠かさず読むことは大学院生や研究者の日課だと思います。しかし、最近論文を読んでいて思うことがあるんです。論文を書く為に論文を読んでいるつもりでも、果てしない数の論文に圧倒される。例えば、選択接触(selective exposure)というテーマを選んだとしよう。試しに、Google Scholar で検索してみると約400万件の文献がヒットした。

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Google Scholar 検索画面

これを全て読むのは私には無理です。そこで最近やっているのは書きながら必要な論文を探して読むということです。おそらくこれができるのはある程度の論文を読まないと難しいかもしれませんが、論文テーマが決まればかなり絞れるでしょう。例えば、選択接触ソーシャルメディアでどのように行われているのかを調べるにはsocial media を検索に付け加えればオッケーです。

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いくつか読んでいくとソーシャルメディア上ではユーザー自身とは態度が異なる情報に触れる確率が情報選択が行われたとしてもあるという研究結果が出てきます。それとは反対にソーシャルメディアが政治的態度が似ているもの同士の交流を促して政治的分断が起きているという研究も出てきます。そのようなことを論文で書いていけると思います。

 

結論:論文は闇雲に読むのではなく何を書くのかをうっすら頭の中で考えてから、論文を検索すると論文を書き進めながら必要な論文を読むことができると思います。こうすることで期限内に論文が提出しやすくなるんではないかと思います(実験中)。

論文は書かないと進まない=終わらない=論文を大量に読んでいる意味を見失う=やる気が失せる。このサイクルに入らないように適度なバランスを保ちながら論文執筆を進めていきます。

 

今日の論文

Stroud, N. J., Feldman, L., Wojcieszak, M., & Bimber, B. (2018). The consequences of forced versus selected political media exposure. Human Communication Research, 45, 27-51. doi: 10.1093/hcr/hqy012

Sundar, S. S., & Marathe, S. S. (2010). Personalization versus customization: The importance of agency, privacy, and power usage. Human Communication Research, 36, 298-322. doi: 10.1111/j.1468-2958.2010.01377.x

Wojciezak, M. (2015). Internet, egocentric publics, and extremism. In Gil de Zúñiga, H. (Eds.), New Technologies and Civic Engagement New Agenda in Communication (pp.103-121). New York, NY: Routledge.