政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

「Against Empathy」 Paul Bloom と コミュニケーションについて思うこと

こんにちは、昨日Against Empathy というイエール大学の心理学教授 Paul Bloomが書いた本をざっくりと読みました。 Against Empathy: The Case for Rational Compassion -
Against Empathy: The Case for Rational Compassion - 感情が先走る私にとって刺激的な内容でした。まず「共感」は必ずしも論理的ではない。ましてや、政治的判断において、間違った選択をしかねないという主張は、普段からリベラルよりな私の意見や考え方に「待った」を突きつけられた感覚です。共感をするということは、排他的要因があることを知るべきと著者は言います。p86,87。  私はあるテレビ番組の特集で、不良が働いている姿を取材したものを見ます。彼ら/彼女らがいかに働いているかを視聴者の人は共感をしながら見るわけですが、普通に働いている大多数の人々を排除しています。不良か普通の人。普通の人は最初から頑張っているのだから評価されて当然ではないですか。しかし、私自身、不良が頑張っているところを見ると普通の人よりもなんか頑張っているように見えるし、応援したい気持ちにまでなります。そこで、不良や社会的弱者に手を差し伸べる政策が進められたりすれば、普通の人々の地位や状況は変わらないことになりかねません。 コミュニケーションにおいては、リスニングの中で、empathetic listeningと言って、相手が感じるように聴き手も感じることができることを目標とするものがあります。コミュニケーションの中で相手の気持ちを理解することはとても大切です。しかしながら、相手が感じているように感じるのはとてもエネルギーが必要です。話し相手がどのように感じているかを確認しながら話をしていくとその日の終わりには疲れがどっと出ます。私自身、人とずっといると脳が疲れてしまって、すぐ眠くなります。早く一人になりたいと思うことがほとんどです。この疲れの原因は、ミラーニューロンというものが関わっていると考えられます。他人と自分の脳の中の痛みに関する部分が同じように反応することがわかっています。p62 論理的、そして長期的に自分の行いを考えて行動することが日々大切だと思います。