政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

2冊の書籍から思うこと。

最近、塾で生徒の指導を行っているのですが、成績が伸びず、私自身に焦りがあります。成績が伸びないのは単に、宿題をやってこなかったり、勉強量が極端に少ない場合が多いと思われますが、根本的に人間嫌いという私の性質が生徒に対して申し訳ないと感じてしまうことが多いです。毎日、非常に明るく、元気よく生徒とは接していますが、上司からは、「生徒がどのように成長していって欲しいか、そのためにはどのように接するのかポリシーを持つことが大切だ」と言われています。基本的に相手のことを思う気持ちが大切だということが上司の言葉の奥から聞こえてきます。 それが、とても辛い。 前回紹介した、藤巻幸夫さんのコミュニケーション学の中に、ホスピタリティーが大切ということが書かれていました。私にとってそれが難しい。心の中で「そのホスピタリティーが難しいんだよっ」と突っ込んだほどです。 最近はコミュニケーションを通して、人間嫌いのメカニズムや、コミュニケーションとは何かという哲学的な方向へ興味が湧いています。そこで何冊か人間嫌いというタイトルがつく本やコミュニケーション下手をテーマにした本をアマゾンで買いました。 今日はその中でも2冊から私が考えたことを言わせてもらいます。 まずはその2冊の紹介から。 1冊目 大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ (光文社新書) -
大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ (光文社新書) - 2冊目 「人間嫌い」のルール (PHP新書) -
「人間嫌い」のルール (PHP新書) -
人間嫌いとは何か?
人間嫌いとは何か?それは「....自他の感受性や信念に対して誠実性の要求が高い人...」「..さしあたり他人の不誠実な態度に対して不寛容な感受性という形で現れる。」p22 これはまだ未熟だと著者は言います。「真の人間嫌いは、他人の不誠実さに対する不快感と並んで、自分自身の不誠実さに対する不快感が表裏一体となっていなければならない。」p22 著者の中島さんは人間嫌いの中核をこう言います。「人間嫌いは人間平等論者でもなければ、人権愛護主義者でもなければ、弱者偏愛主義者でもなければ、反権力・反権威主義者でもなければ、アナーキストでもなければ、理想世界希求者でもない。人間嫌いをその中核で動かしている動力は自己愛なのである。」p147 自己愛と聞くと単なる自己中な人と誤解される人がいると思いますが、自己愛がある人ほど寛容な人は多い。自分が身勝手だと知っているから他人にも寛容なのだということです。 塾での指導方法でも、勉強することは本当に大切であるけれども、みんなと同じように宿題をやらせたり、競わせたりすることで伸びる子もいますが、全く伸びない子がいます。塾業界自体、気づいていると思いますが、成績を伸ばすためには、生徒の頑張り次第。講師はいかに生徒をやる気にできるかが問われています。そして、やる気を引き出せるか、出せないかでプロの講師と素人講師の違いが浮き彫りになります。いくら素人講師がわかりやすく教えたとしても、家庭で勉強に身が入らなければ(自分で勉強しなければ)成績は上がりません。 勉強ができない子は、できない子なりに自分の将来のこと、やりたいことを考えています。その子どもたちは、自分がやりたいことと学校での勉強がつながっていることを知りません。自分が生徒を勉強に向かわせることができない未熟さに腹が立ちますし、その一方、勉強をしたくないならやらなくてもいいんだよという気持ちがあります。矛盾しています。 この矛盾を少し広げて考えてみると、辛酸なめ子さんの著書「大人のコミュニケーション術」で繰り広げられる数々のコミュニケーションについての考え方が面白い。その中でも、ロボットとのコミュニケーションは人間嫌いにつながっていると考えます。著者が「自己紹介して」とロボットに尋ねると「今日は洗濯物がよく乾くね!」と的外れな答えが返ってきたそうです。それがロボットとの会話の楽しさかも知れないと著者は言っています。p168 私は、基本的に人は同じ意見や思いを持っている人は少ないと考えているので、会話のズレはとてもほっこりします。 母親と話しているとお互いが言いたいことを言っているので、たまに話がかみ合いません。それが面白くてお互い笑ってしまうことがあります。私はこれが本来あるべき姿だと思うのです。言いたいことを言う。意見が違うのは当たり前。これがコミュニケーションの前提なのです。その違いをどう埋めるかが善・悪の人間関係につながるのです。
まとめ
日本では、個人レベルでは、自己中心化が進んでいるのにもかかわらず、社会全体としては本音と建前がはびこっており、その二つをうまく使える人が生き残っていきます。生き残れない人、もしくは、そもそもその競争に参加しない人は我が道を行けばいいと思いますし、その分、自分が得意なところで努力していくことが大切だと考えます。自己愛を持った人たち(全ての人は持っているはず)はこれから自分に正直になってほしい。そして、自己愛のせいで社会が混乱しないように、コミュニケーションという最高の手段があるので他の人の生きかたを尊重しながら、意見を言い合うような社会ができたらな。