政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

コンビニ人間 村田沙耶香 を読んで思うこと。

ある書店のポップに惹かれてコンビニ人間を購入した。そのポップは普通とは何かを考えさせられるというものだった。私の性格は普通ではないのでとても惹かれた。他の人と同じことをするのが嫌で幼稚園の時から目立つこと、そして他の園児がやっている時にやることをやらず、やっていない時にこっそりやることが大好きだった。そんな性格なのでポップに惹かれないわけはなかった。読んでみると、普通にハマった。今まで小説に手を出してこなかったし、ましてや、芥川賞受賞作品などみんなが勝手に決めた賞で、なんで私が読まなければならないのかという気がして、読む気などしなかった。しかし、読書の必要性を説く本を読んでいるとどの本も小説を読むことのメリットが書かれているので、しょうがなく読んでみたものがコンビニ人間だった。 コンビニ人間 -
コンビニ人間 - 率直な感想は、コンビニの業務内容が細かく描写されているし、登場人物のキャラクターが実際にいそうな人ばかりで面白い。目立ちたがり、他の人と同じような道をあえて選ばないことに喜びを感じる人にとっては彼ら。彼女らの気持ちを理解してもらうのにうってつけの小説かもしれない。 さて、コンビニ人間で優れているのは著者の描写能力だけでない。むしろ、社会的トピックを取り入れることによりこの小説を意味のあるものにしていると感じられる。社会的トピックとは、年齢差別、結婚観、就職である。これらのトピックは私たちが避けては通れないもので、かつ、興味が惹かれるものであると考えていいだろう。年齢は、結婚と就職に関わりがあるし、就職を考えると同時にお金や結婚などに関心を持つ人もいるだろう。結婚を考える人にとっては年齢や仕事は結婚生活を左右する事柄でもある。よって、これら3つはお互いに相互関係にある。 この小説の私である古倉は30歳をすぎてまでコンビニのアルバイトだ。年齢的には綺語いうに就職するなりして生計をたてられていなければ、結婚をしたとしても、子どもを持つことは難しいだろう。案の定、古倉は恋愛にも興味がなく就職することにも関心が薄い。だから、まわりの友達や家族から心配される。結局、話の中盤では、白羽という男を家に住まわせ、彼氏ができたかのように周りに振る舞う。そうすると、面白いように周りが安心するのだ。白羽という男は、実績や経験が薄いくせに企業すると自信ありげに言っている、いわば、意識高い系、かつ、ヒモになりたい男である。最近こういう人増えている気がする。 だらだらと、話を進めてきたが、結局何をこの小説は伝えたいのだろうか?書店のポップではいたるところで普通とはなにかを問う作品、と、この小説を売りに出しているが、はたしてそうだろうか。確かに、読んでみると表面上は、普通であることに関して疑問を感じているやりとりが古倉と白羽の間で多くみられる。しかし、その普通の後ろに隠されたより大きな概念を読者に伝えているのではなかろうか。大きな概念とは、幸福論である。幸せとは何か。どのように生きることが幸せだと言えるのか。そんなことを読者に問いかけてるのである。 普通であることは幸福度指数である。普通という場所は可もなく不可もなく無意識に自分が所属するところであり、自分がそこから締め出されて初めて感じるところであるのだ。大切な人を亡くすとその人の凄さや、必要性を再認識させられる。それは、今までは意識していない普通という場から一旦、締め出されていることに他ならない。そして、時間がまた普通という無意識の場所に私たちを連れて行くのである。なぜ普通は幸福論と結びつくのか。そんな疑問を持つ人がいると思う。 そんな人には、考えて欲しい。自分がやらなくてもいい、辛い仕事をあなたはやる勇気がありますか。それらを私たちはやろうとしないのです。それこそが普通のことであり、痛くもかゆくもない、快適なゾーンに自分の身を置くことで自分を守り、それを幸せと感じるのではないですか。 コンビニ人間は、普通というテーマを皮切りに、私たちが自らの幸福論を作っていく、新たな時代への始まりを描いています。普通とは、実際、一人一人違うのです。社会が、私たちに押し付けてきた幻想から私たちは目を覚まし、自分の人生を見つめ直しましょう。そうすることで、運がついてきます。なぜなら、運とは一貫した目的を持つものに訪れる最高の機会だからです。