政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

 わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田オリザ

久しぶりの投稿となりました。冬期講習が昨日終了し、自分の時間ができましたので早速、読書。 生徒に英語を教えていると毎回思うのがコミュニケーション能力。英語検定の会話文問題で適切な応答を選ぶ問題があるのですが、苦戦する生徒が多いように思います(私の中で)。英語を和訳する能力があったとしても、的外れな応答を選ぶ子生徒。なぜだろう。そんな疑問が絶えず頭から離れません。本書はその答えのヒントをくれたように思います。 わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) -
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) - 本書からコミュニケーション能力に関して2つの示唆をご紹介します。
若者はコミュニケーション能力が低いのか?(社会的要因)
「最近の若者はコミュニケーション能力があまりに低い」「何考えてんだかわかんね」このような決まり文句は果たして何を意味してるんでしょうか。そこにはまず世代格差が潜んでいるといいます。具体的に著者は高度経済成長真っ只中の世代は競争意識が強く自分を表現する意欲がある、一方で、ゆとり世代に代表される若者世代は不況を絶えず経験し続け、競争よりも平穏さを求める。これは「コミュニケーションに対する意欲の低下」である。p21 と主張している。 このような意欲欠如の状態は家庭会話にすら影響をもたらしているという。著者はその影響を「単語で喋る子どもたち」と表現する。家族構成がますます核化していく中で、一人っ子が多くなり、周りの親、先生、友達様々なことを察してくれ、自分がしたいことを伝えなくても済まなくなっている現状を指摘している。p22-23 私自身ゆとり世代であり上司にかなりの察しを知らずに求めていることが多く、イライラすることが多い。生徒との会話では察しばかりで話が続かず気まずい雰囲気になることもある。察しない力が欲しい。察しはコミュニケーションの一部である限り、先輩世代よりも今の若い人の方が察しに関しては能力が高いように思う。したがって、若者はコミュニケーションができないというのはあまりに一般化したものだろう。
人間らしさとは?
本書62ページにアンドロイド演劇という章がある。この章は人間コミュニケーションの本質を研究する上でこれから、いや、もうすでに注目されている。ロボットにはまだ再現できないものといえば、コミュニケーションである。著者は人間らしいとは何か「ロボット演劇研究」を通して考えてきた。現在わかっていることは、「ノイズ」が人間らしさを形作るようだ。私なりに解釈すると、ノイズとは、文化的、心理的、環境的要因が意思伝達に影響を及ぼすことである。ご飯を食べる前に箸をとり、食べ始める速さはお腹が空いている度合いによって変化するだろう。ご飯がきてからすぐに食べ始めればお腹が空いていると解釈されるだろう。このように、コミュニケーションは外的な要因によって影響を受けている。質問に対して答えるとき、同じ速さ、トーンで話すと、違和感を感じるだろう。それだけ人間は個人によって違いがある。ノイズは個人によって違う。その違いが人間らしさなのだと教えてくれる。
まとめ
わかりあえないからこそ、分かり合えるように伝え合う。わかってもらえないから表現をする。人はもともと違うものである。個人主義へ突き進んでいるのにもかかわらず、社会では同一性が強調される。日本人はまずその違いを認めてからお互い納得いくようコミュニケーションを駆使していくべきだ。そんなことを学べる本であった。