政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

「異論のススメ」から思った事

2016年9月2日付の朝日新聞15面に佐伯啓思氏が執筆した異論のススメが掲載されていた。タイトルは「今こそ問われる成長の『質』」であった。私自身、異論のススメは興味のあるコラムの一つであり今回は特に時代の進化について考えさせられた。佐伯氏はシューマッハ著の『スモール・イズ・ビューティフル』を40年ぶりに再読し、時代が変わったと感じたそうだ。その時代とは先進国の工業発展についてのことで、シューマッハ氏は本の中で1973年には行き過ぎた経済活動が人間の身の丈に合わないと論じている。今やAIなどの技術革新が発展著しい中、人間に対してこのようなものが何をもたらすのかを考えることが必要とコラムの中で論じていた。これは異文化コミュンケーションを専門としている私からすると興味深い。なぜなら日本文化(社会構造)がほぼ変化していないからだ。日本の社会構造を理論化した中根千枝氏の著書『タテ社会の人間関係』は第1刷が1967年に書かれた。実に49年前に提唱された理論であるにもかかわらず、現在の日本人の集団特徴を見事に理論化することに成功している。人間自体は慣例的な人間関係を築いていくのに、周りの環境、そして経済発展はその慣例を変えることがどうしてもできないようだ。

確かに、伝統的な人間関係はインターネット、特にSNSの発達により遠距離での人間関係発達を可能にさせたかもしれないが、しかし、SNSは既成集団の中に新たな人間関係を発足させる範囲をただ拡張させただけだ。つまり、人間関係構築を根本から変えるほどの力はなかった。例えば、あるライングループに新しい人を1人のグループメンバーが推薦してグループに加入することになったとしよう。他のグループメンバーは新しく入った人とは全くの他人でつながりがなく、あるのは推薦をしたメンバーの友達という事実である。これから、親睦を深めるのか、それとも何もないつながりになるかは実際に顔を合わせて話すことで決定される。もし、推薦をしたメンバーが脱退するようなことがあれば、新しく入ったメンバーはおそらく気まずく感じ、最悪グループ離脱を考える。このように、SNSの発達で私たちが得たのは人間関係を始めるきっかけであり決して、人間関係自体を深めるものでもなく、SNSがなかった時代と何の変わりもないということである。私自身、生まれた時からコンピューターが学校に設置されていた、ネットネイティヴであるが、正直そのおかげで人間関係が深まったということはなく、長く付き合う友達は、部活動の仲間や、大学の友達である。今後も、ネットで錯綜する世の中でも佐伯氏が説いた、新たなものが何を人間に与えるのかを考え選択肢を取捨選択していく。