政治のお悩み相談所:大学院の物事

政治とコミュニケーションについて研究している博士課程所属のものです。大学はカンザス大学。テクノロジーと政治、政治的分断、ソーシャルメディアによる日常生活と政治の重複などに関心があります。文系・社会科学系大学院生として発信中

英語教授のスタイルについて

こんにちは、本日は、昨日の朝日新聞朝刊の投稿についてコメントです。

投稿の中で、日本の英語教育をドイツのものと比べているものがありました。その投稿の主張は「日本は会話に重点を置いて英語を教えるべきだ」というものです。

 私自身日本の英語教育を会話中心、言い換えれば、言語的に教えるのではなく、コミュニケーション(非言語コミュニケーション含む)を中心に教えていくことを試験的にやってもらい早くデータを集め分析してもらいたいです。ゆとり教育が批判されるように英語教育も批判されることになるのか興味があります。

一方で、実際に行動に移す前に考慮すべきことがあると私は考えます。

先ず初めに、小学校から高校までの英語教育を通して何を得たいかです。英会話を行うことを目的とするのか、書籍や論文を英語で読めるようにしたいのか。現状では、後者が目的のように思います。しかしながら、大学卒業後に求められるのは、リーディングのスキルだけでなくスピーキング、ライティング、リスニングも要求されるのです。学校教育は、この現状を理解していながら、指導要綱にうまく反映できていないように思えます。

次に、日本のコミュニケーション文化です。日本は中国や韓国と比べコミュニケーション不安がはるかに高く、会話を授業中に行っていくことは難しく、生徒によってはストレスがかかってきます。

最後に、スピーキングを強化するには、個人練習が欠かせません。20〜30人のクラスでスピーキングを導入しても、限られた時間の中で中国や韓国と同じレベルにするのには、生徒のコミットメントが非常に大切になってきます。

以上のことを考慮すると、授業では今まで通り文法を教えつつ音読を増す。英文をリズムよく何も見ないで言えることを一単元の目標として次の単元へ進んで行くというようにすることで、英語を口から出す練習とそれを頭ので理解することができるようになります。それがリーディングとスピーキングの練習になっていくと考えています。

みなさんの意見を聞かせてください。

それでは。